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浅利与一

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豊富地区ゆかりの人物・浅利与一に関する記事です。
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#浅利与一

与一ミニ企画展②浅利与一の紹介

今回は、中央市ゆかりの武将・浅利与一のプロフィールを簡単に紹介します。 彼については以前「大福寺周辺をたずねる1「浅利氏と大福寺」」でも取り上げました。そちらも併せてご参照ください。 浅利与一の履歴書 実名:遠義・長義・義遠・義成が伝わる(当時、名前を変えることはよくある事でした) 生年:久安5(1149)年 出生地:甲斐国か 父親:逸見清光(十一男) 母親:不明 兄:逸見太郎光長・武田太郎信義・加賀美二郎遠光・安田三郎義定(叔父とも言われている)・平井四郎清隆

与一ミニ企画展①『平家物語』からみる源平合戦の流れ

今回は、「三人の与一」(佐奈田与一・那須与一・浅利与一)の活躍を中心に、『平家物語』を振り返りたいと思います。 佐奈田与一だけ、一般的に流通している覚一本『平家物語』に登場していないので、一部延慶本の内容も入っています。 こちらが「三人の与一」の活躍を中心にした年表です。 源平の命運 『平家物語』が始まるまでの流れを概説すると、そもそも源氏も平家も元々は臣籍降下した皇族でした。その中から武芸が得意な一族が出て来て、ガードマン的立ち位置で朝廷に仕えるようになりました。その

ミニ企画展「浅利与一の「物語」」実施します

中央市豊富郷土資料館です。 今回は、ミニ企画展「浅利与一の「物語」」実施のお知らせです。 突然ですが、浅利与一という武将を御存知でしょうか。 那須与一は知っているが浅利は知らない、という方がほとんどではないでしょうか。 浅利与一は、那須与一と同時代に生きた武将です。彼は甲斐源氏・武田信義の弟で、現在の中央市浅利付近を本拠地としていました。彼も那須与一と同様に弓の名人で、『平家物語』にも登場します。実際、江戸時代の庶民文芸では、「弓の名手といえば那須与一と浅利与一」という位