与一ミニ企画展⑤琵琶法師とは
『平家物語』といえば琵琶法師の存在が思い浮かびます。ではその琵琶法師は、いったいいつ頃現れて、社会の中でどのような役割を果たしたのでしょうか。
琵琶法師の登場
琵琶はもともと中国の楽器で、朝廷に伝わり雅楽に取り入れられました。それとは別に、唐の時代(618~907年)から盲目の人が琵琶を弾く習俗があったといいます(『続高僧伝』『西湖遊覧志余』)。その習俗は西国に伝わって平家琵琶の源流になったと考えられています。
平安時代になると、記録にも琵琶法師が登場します。『小右記』『殿暦』などによると、琵琶法師は公家の家に招かれて、説法の合間に余興的に音楽を演奏するほか、宴に召されて歌や物語を奏でることもあったそうです。
『小右記』…藤原実資の日記。
『殿暦』…藤原忠実の日記。
中世の琵琶法師
琵琶法師というと、一匹狼的に各地を放浪しているイメージがあります。実際にそのような人もいたでしょうが、大半は何らかの組織に属していました。
鎌倉時代の琵琶法師は、大寺院に所属していました。たとえば『徒然草』で信濃前司行長が『平家物語』を語らせたという琵琶法師・生仏は比叡山延暦寺の琵琶法師と言われています。他にも興福寺や醍醐寺などにも琵琶法師がいました。
南北朝時代になると、琵琶法師の座(同業者組合)ができ、組合員の中で芸の相伝がはじまりました。この頃に明石覚一が登場し「覚一本」が生まれたり、室町将軍家が座の元締めになったりしました。
応仁の乱以降、琵琶法師たちは戦乱を逃れるため、京都中心部から日枝神社(比叡山延暦寺の鎮守)と興福寺に本拠地を移します。以降は戦乱のため史料が散逸しよく分かっていませんが、彼らは何とか戦国時代を生き残ります。
近世の琵琶法師
江戸幕府ができても『平家物語』を語る盲僧はいました。徳川将軍家も『平家』を重要視したので、それを語る琵琶法師たちの地位も上昇します。『平家物語』を語る琵琶法師は大名に召し抱えられたり検校・勾当など高い地位についたりしました。一方で、地位が高くない盲僧たちは必ずしも琵琶や『平家物語』を習得できたとは限らず、格差が生まれました。
参考文献:兵藤裕己『琵琶法師』(岩波新書、2009年)