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歴史講座「刀の装い」第二回目「絵巻物からみる庶民の装い」開催しました

中央市豊富郷土資料館です。
9月7日(土)に歴史講座「刀の装い」第二回目「絵巻物からみる庶民の装い」を開催しました。

今回も多数の皆様のご参加ありがとうございます。

2015年から日本刀ブームが起き、日本刀に関する書籍や各種イベントが多数行われました。しかし、その内容は主に「名刀」の「刀身」に注目するものがほとんどです。
一方で、日本刀が製作され使われた当時の状況を鑑みると、必ずしも刀身だけに注目しているとは限りません。
また名刀に注目するあまり、郷土刀や庶民の刀など、歴史上確かに存在したけれども美術品的価値は高くない刀に対する研究や保存がおろそかになっていないでしょうか。
当館は「郷土資料館」であるということで、今年は敢えて日本刀の刀身以外・名刀以外に注目します。

今回は、中世庶民が日常的に刀剣を差していた事、また刀剣が万能ナイフ的に使われる一方で、成人の証のような役割も果たしていたことを、絵巻物や説話集、日記記事などをもとに解説しました。

中世庶民は丸腰と思われがちですが、腰刀(後世でいう脇指)をさしています。
そもそも彼らが丸腰で生き延びられるくらい平和な世ではなかったようです。地方村落であっても隣村との境界や様々な権利をめぐって争いがありましたし、荘園であれば利権をめぐり各土地の権力者たちが戦をする事もありました。都市部でも説話集等に見られるように喧嘩や強盗があったりして、丸腰でいられるほど世の中は安定していなかったようです。

刀は、武器としては勿論、包丁やカッターナイフなどのように使われました。

『石山寺縁起絵巻』(部分)。
中央の男が腰刀で魚の腹を割き、勅書を見つけた場面です。

また、庶民は日常的にポシェットのようなもの(火打袋、童話「桃太郎」できび団子を入れて腰につけているアレです)を提げていて、それをくくる先としても刀が重宝されました。

一方、刀を取り上げられる事は単に物を没収されるのとは異なる重みをもちました。

村同士の争いでは相手方の狼藉の証として、相手の刀を奪う事がありました。
また『政基公旅引付』の例では、村役人の刀を盗んだ他村の者が死罪になり、それを当然とする風潮が見られます。
刀は実用品であると同時に、それを奪うことは奪われた者の名誉や面子を著しく傷つけるものでした。

『松崎天神縁起絵巻』(部分)。
旅の者が、菅原道真の行列を横切ったとして連行されるところ。中央の黒い着物の男の左手に、旅人の刀と火打袋が取り上げられています。

現代で言えば何が近いでしょうか。実用品かつ個人に強く結びつく品といえば、腕時計や自動車、スマホもそういう側面があるかもしれません。

庶民が奉納したという、法隆寺西円堂の黒漆打刀拵。
(東京国立博物館画像データベースより)

次回は10月12日(土)です。