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与一ミニ企画展③『平家物語』の読み本・語り本とは

『平家物語』は有名ですが、いつ頃成立した物語なのか、あまり知られていないのではないでしょうか。源平合戦のことを描いているから、何となく鎌倉時代にできたと思いがちですが、現在のような形になったのはもうすこし後の事です。

『平家物語』成立前夜:説話としての平家伝説

一昔前の教科書には、『平家物語』の作者は「信濃前司行長」だと書いてありました。根拠は、鎌倉時代の随筆『徒然草』第226段です。

後鳥羽院の御時、信濃前司行長、稽古の誉ありけるが、楽府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名を附きにけるを、心憂き事にして、学問を捨てて遁世したりけるを、慈鎮和尚、一芸ある者をば、下部までも召し置きて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持し給ひけり。
 この行長入道、平家物語を作りて、生仏といひける盲目に教へて語らせけり。さて、山門の事を殊にゆゝしく書けり。九郎判官の事は委しく知りて書き載せたり。蒲冠者の事はよく知らざりけるにや、多くの事どもを記し洩らせり。武士の事、弓馬の業は、生仏、東国の者にて、武士に問ひ聞きて書かせけり。かの生仏が生れつきの声を、今の琵琶法師は学びたるなり。

『徒然草』第226段

これによると、行長は博識だと有名で、ある日『白氏文集』の中の「新楽府」の部分を天皇の御前で論議する会に呼ばれたといいます。その時、「新楽府」冒頭にある「七徳舞」という詩の「七徳」を五つまでしか思い出せないという失態をおかし、それがもとで「五徳の冠者」というあだ名をつけられました。不名誉なあだ名を嫌がって宮仕えを辞した信濃前司行長を、慈鎮和尚(天台座主・慈円)がパトロンになって保護し、彼のもとで行長は『平家物語』を書いて琵琶法師の生仏に教えたとあります。

慈円僧正筆懐紙(出典:ColBase)
慈円は摂関家の九条家出身で、関白・九条兼実は同母兄になります。
彼は他に歴史書『愚管抄』の著者としても有名です。

このような記載があるものの、近年では、『平家物語』は一人の手によるものではなく、多くの人々が直接・間接的に関わった説話集のようなものだと考えられています。
なぜなら、現存する文学作品の中に、『平家物語』に通じる箇所を持つものが多く残っているからです。
どのような作品かというと、①平家と同時代に生きた公家の日記や和歌集②源平合戦に関わった寺院に伝わる説話③源氏に伝わった合戦説話、の3種があるとされます。
それぞれ具体的な作品を挙げると下記のようになります。

  1. 冷泉隆房(清盛女婿)『平家公達草紙』、『建礼門院右京大夫集』『たまきはる』『明月記』『心記』『山槐記』など

  2. 三井寺に伝わる「高倉宮物語」と「源三位頼政歌説話」、「六代御前物語」など

  3. 『吾妻鏡』『愚管抄』『方丈記』また合戦物を語る人物が先んじて存在(『一言芳談』)。

その他、説話集の『十訓抄』『続古事談』にも『平家物語』に関連する説話があります。


  • 『平家公達草紙』…絵巻物。平維盛・資盛・重衡ら平家の公達の逸話を集める。

  • 『建礼門院右京大夫集』…私家集。長文の詞書がある。著者は平徳子(建礼門院)に仕えた女房で、藤原伊行の娘。平資盛の恋人だったとされ、平家の栄華と没落、恋人との死別を歌にする。

  • 『たまきはる』…『建春門院中納言日記』とも。著者は藤原俊成娘・藤原定家姉。高倉天皇の母である平滋子(建春門院)に出仕した頃のことを回想して記す。

  • 『明月記』…藤原定家の日記。

  • 『心記』…藤原定能の日記。

  • 『山槐記』…中山忠親の日記。

  • 「高倉宮物語」…高倉宮以仁王の挙兵から敗死に至る一連の伝承のこと。もともと『平家物語』とは別に伝承されていたのが『平家物語』編集過程で本文に組み込まれたと考えられている。

  • 「源三位頼政歌説話」…歌人でもあった源頼政が歌で功をたてた様々な説話のこと。こちらも『平家物語』とは別に伝わっていたものが編集過程で本文に組み込まれたと考えられている。

  • 「六代御前物語」…平清盛の孫・平高清(六代御前)が源氏軍により捕縛され、一度は命が助けられるものの源頼朝の死後に伊豆で処刑される物語。まだ幼い公達の悲劇として独自に伝承されていたと考えられている。

  • 『愚管抄』…歴史書。著者は慈円。承久2(1220)年頃成立。神武~後堀川天皇までの治世を振り返り、歴史の推移の中に世の理を見出そうとした。

  • 『方丈記』…鴨長明のエッセイ。自らが経験した福原遷都や源平争乱に関する記載がある。

  • 『一言芳談』…法然とその門弟を中心に、念仏行者の信仰を伝える法語を集めたもの。

  • 『十訓抄』…鎌倉時代中期の説話集。作者不明。教訓的な説話をあつめ十項目に編集する。

  • 『続古事談』…鎌倉時代初期の説話集。先行の説話集『古事談』にならい項目分けした説話を載せる。


このような物語を吸収しながら、だいたい鎌倉時代末期~南北朝時代には現在伝わる『平家物語』の形になったと考えられています。

『平家物語』の読み本・語り本

『平家物語』には、主に書き言葉として伝わった「読み本」と、主に口承文芸で伝わった「語り本」という二つの系統があると言われています。両者は伝来も違えば内容にも多少の出入りがあり、「3人の与一」の佐奈田与一や浅利与一はそれぞれ登場しない本があります。
図書館などに収蔵されている物もあるので、興味がある方は手に取って比べてみてください。

主な読み本・語り本一覧です。

主な語り本の説明と書誌情報

さて、現在最も有名な『平家物語』の内容は、「語り本」のうち特に「覚一本(かくいちぼん)」と呼ばれるものです。
これは琵琶法師の明石覚一(あかしかくいち)が語った内容がもとになっています。
明石覚一は南北朝時代の琵琶法師で、京都を中心に活躍し、足利尊氏や高師直らに『平家物語』を語った記録が残っています。
覚一本の成立および琵琶法師と室町幕府の関係はまた別記事で取り上げます。

覚一本の他にも、琵琶法師らの語りがもとになった本はいくつかあります。有名なところだと「屋代本(やしろぼん)」「流布本」「百二十句本」などです。

主な読み本の説明と書誌情報

琵琶法師が語る『平家物語』がある一方、書籍として伝わった『平家物語』もあります。
最も古いものの一つが、延慶年間(1308-1311年)に書かれたとされる『平家物語』延慶本(えんぎょうぼん)です。延慶本の原本はなく、応永年間に根来寺で書写されたものが伝わっています。
延慶本の他にも、「長門本(ながとぼん)」「源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)」「四部合戦状本(しぶかっせんじょうほん)」などが代表的な「読み本」です。

『平家物語』は、ある程度形ができてからも、これら「読み本」や「語り本」が相互に影響しあっていて、複雑に発展します。それだけ多くの人に親しまれてきた証でもあると思います。

参考文献:
武久堅『平家物語への羅針盤』(関西学院大学出版会、2022年)
松尾葦江編『軍記物語講座第2巻 無常の鐘声 平家物語』(花鳥社、2020年)