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館内探検②中央市の古代・中世を知ろう

中央市豊富郷土資料館です。
今回から数回にわたり、当館の常設展示をご紹介します。
校外学習や観光の参考にどうぞ。

今回は歴史コーナーのご紹介です。
入口から入った最初の部屋が歴史コーナーです。

1階エントランスホールすぐの部屋です。

学校見学の時は、まだ歴史を学習していない学年の事が多いので、この部屋の説明は割愛することが大半です。しかし、内容は一部屋にぎゅっと詰まっています。

歴史コーナーでは、古代(旧石器・縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良)・中世(平安・鎌倉・室町)の品物を展示しています。

左側には、旧石器・縄文・弥生・古墳それぞれの時代の出土品が並んでいます。いずれも中央市周辺の出土品ですよ。

中央市周辺には古代の遺跡がたくさんあります。

中央のガラスケースにも土器や木製品などがあります。こちらは少し新しい時代のもので、平安時代や鎌倉時代の出土品もあります。

土器や木製品もあります。

右側には、平安時代後期から鎌倉時代にかけて中央市周辺を治めた甲斐源氏・浅利与一に関するパネルや品物の展示があります。

浅利与一の墓と伝わる宝塔は資料館向かい側の公園内にあります。近年調査が行われ、県内でも最も古く最も大きい部類の宝塔だそうです。

浅利与一は弓矢の名人とされており、地元には彼の強弓に関する伝説が残っています。また『吾妻鏡』によると鎌倉幕府に反乱を起こした城氏の板額御前を妻にしており、彼女に関する伝承も中央市周辺に残っています。

ガラスケースの上にある弓矢は、『平家物語』に浅利与一が九尺の弓・十五束の矢を使っていたとあるのを再現したものです。

上の弓がふつうの弓、下の弓が九尺の弓。
矢も、上のものは通常サイズの矢、下の矢が浅利与一の矢です。

手前の展示ケースには、浅利与一の位牌や与一着用との伝承がある兜の写真があります。
変わった品として、浅利与一が壇ノ浦から持ち帰ったという「安産石」があります。この石が船を貫いた時に与一に男児が生まれたという伝説からこう名付けられています。

安産石です。安産守りとして見学にくる妊婦さんもいます。
この男児を板額御前との子とすると年代が合わないのですが、
中世の戦と石との関係を知る上で面白い資料です。

奥には日本刀が6振と厨子があります。

上から無銘(文殊)・近江大掾忠弘・無銘・正廣(三原)・備前祐光・守重です。正廣は昭和36年に日本美術刀剣保存協会から特別貴重刀剣の認定を、文殊・祐光・守重は貴重刀剣の認定をうけています(現在は特別貴重刀剣・貴重刀剣という格付けは廃止されています)。

こちらは浅利与一の子孫の一つである飯室家が代々伝えた刀です。資料館となりの大福寺に寄贈したものを、より多くの方に見てもらいたいとの事で、当館で展示しています。

近くにお越しの際は是非のぞいてみてください。