館内探検③昔の家と台所
中央市豊富郷土資料館です。
数回にわたり、当館の常設展示を紹介しています。
校外学習や観光の参考にどうぞ。
今回は校外学習でも人気な「昔の暮らし」のエリアです。
当館では明治・大正・昭和(戦前・戦後)の頃、中央市(田富・玉穂・豊富)で実際に使っていた道具を展示しています。
入口の門も、豊富地区の長屋門を移築しています。
こちらの台所は、かつて水道もガスも電気もなかった時代の様子を再現しています。
水道はないので井戸から水を汲み、台所の水瓶にためていました。水は都度運んでも良いのですが、天秤棒に大型の水桶をぶら下げると一往復で大量に運べました。
電気がないので冷蔵庫もありません。しかし、一部の豊かな家には氷冷蔵庫がありました。
この氷も、専門業者が冬に氷室で確保しておいたものを購入します。しかも、毎日交換する必要があったそうで、とても手間がかかりました。
ガスがないので煮炊きはかまどで行います。燃料の薪も、着火剤としての柴も、自分たちで調達します。山から背負子で運び出すこともあったかもしれません。
煮炊きについては、簡単な調理は囲炉裏でも行いました。囲炉裏には炭火があり、かまどなどに火をうつす時の種火をとる場所にもなりました。
ちなみに、山梨県に上水道が通ったのは大正2(1913)年が最初で、甲府で平瀬浄水場の給水が開始されています。ガスの家庭での使用が始まったのは戦後で昭和28(1953)年頃で、県内にもその頃から広まりました。電気は、明治32(1899)年に甲府電力が発足していますが、現在のように家電製品が普及したのは戦後の高度経済成長期以降です。それまでは夜に電球をつける程度の利用でした。
そのため、昔は洗濯やお風呂の準備も大変。
洗濯も、洗濯機が登場するまで、洗濯板を使って手で洗っていました。
洗濯機が登場するのが昭和30年頃。それまで手でゴシゴシしていたのが、手動であっても手回し式になったのは画期的な出来事でした。更に電気洗濯機も登場し、洗濯は更に楽になりました。
お風呂も同様です。
当館には昔ながらの「五右衛門風呂」があります。このお風呂に入るのは一苦労で、まず水を上の湯船に満たし(大きい水桶の15杯分程度!)、その水を下のかまどで沸かす必要があります。
当然、湯船の底が木製だったら燃えてしまいますので、湯船は側面だけ木、底は金属です。そのまま入浴すると足裏がやけどしてしまうので、中には分厚いすのこが入っています。このすのこに乗って入浴しました。体重が軽いとすのこが沈まないので、子供は兄弟姉妹で入ったり、大人と一緒に入ったりしたようです。
こんなお風呂を毎日準備するのは重労働。そこで昔の豊富地区では「もらい湯」といい、隣近所で順番にお風呂の準備をして、そこの家に皆で入りにいく慣習があったそうです。加えて昔は毎日湯船につからなかったので、お風呂の準備は実質的に月に数回程度だったでしょう。
薪で沸かす風呂も、昭和30年頃まで使われていました。そう考えると、この半世紀の技術革新の速度には改めて驚かされます。
館内には他にも白黒テレビをはじめ昔の家電製品、レコード、タイプライターなど昔のオフィス機器もあります。ぜひごらんください。