歴史講座「刀の装い」第三回目「武田家からみる武家の装い」開催しました
中央市豊富郷土資料館です。
10月12日(土)に歴史講座「刀の装い」第三回目「武田家からみる武家の装い」を開催しました。
2015年から日本刀ブームが起き、日本刀に関する書籍や各種イベントが多数行われました。しかし、その内容は主に「名刀」の「刀身」に注目するものがほとんどです。
一方で、日本刀が製作され使われた当時の状況を鑑みると、必ずしも刀身だけに注目しているとは限りません。
また名刀に注目するあまり、郷土刀や庶民の刀など、歴史上確かに存在したけれども美術品的価値は高くない刀に対する研究や保存がおろそかになっていないでしょうか。
当館は「郷土資料館」であるということで、今年は敢えて日本刀の刀身以外・名刀以外に注目します。
今回は、企画展「駿河への峠道をおさえる中央市周辺の山城」開催中という事もあり、武田家関係のものを中心に、武家の刀剣について考証してみました。
まず規範の側面から考えると、武家の刀剣は①太刀②腰刀・打刀の二つに分けられます。
太刀は、武家も公家の規範の影響をうけていました。武家といえども朝廷から官位を貰っている以上、その官位相当の拵を帯びるのがならいです。
軍記物語で出て来る「いかもの造りの太刀」は兵庫鎖太刀などに当たり、地下人(六位以下)は帯びることができず、かわりに黒漆太刀拵を佩用するのがルール。軍記物語で大将軍の描写に出て来る太刀は、ただ派手なだけではなく高い官位の象徴でもありました。
さて、腰刀や打刀は公家社会の規範からは無縁でしたが、世の中が平和になると武家自身がそれらに規制をかけはじめます。
たとえば室町時代、金色の金具がついた太刀を使えたのは将軍家だけでした。
そのような所で彼我の差をつけて、立場の違いを視覚化していたようです。
さて、武家と刀剣の関係で忘れてはいけないのが贈答品としての側面です。
太刀は武家にとって最も一般的な贈答品でした。現代人がお茶菓子を手土産に持って行くようなノリで、彼らは太刀を授受していました。
また、現代人が「贈り物にはこんな品がいいよね」「目上の人にはここのお菓子がいいよね」という感覚を持っているのと同様に、武家にも「贈り物にはこんな太刀がいいよね」という共通認識ができてきました。
それが故実書で「御物になる銘」などとして登場し、現代にも「名刀」として伝わっています。
贈答品として刀剣が授受されると、それに伴い刀剣鑑定の技術も発達しました。現代では貰った品の値段に応じて返礼品を考える事がよくありますが、それは中世も同じ。貰った刀の査定額に応じて返礼をする事もあったし、次に贈る時に備えて刀剣の真贋やだいたい幾らくらいの刀か知っておく必要があったりして、刀剣鑑定の需要が高まりました。
16世紀には正阿弥・本阿弥など阿弥号を持つ専門家が畿内に現れるほどになり、そのノウハウも蓄積されました。
今年度の歴史講座はこれで最後です。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。
来年もこの頃にまた違うテーマで講座を開く予定です。詳細は広報ちゅうおう・館からのチラシ・本ブログ等で告知します。