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館内探検④農機具と戦争の頃

中央市豊富郷土資料館です。
数回にわたり、当館の常設展示を紹介しています。
校外学習や観光の参考にどうぞ。

今回は農機具のコーナーと、太平洋戦争に関するコーナーを中心にご紹介します。

今回は上記エリアをご紹介します

農機具のコーナーでは、主に稲作に使用していた道具を紹介しています。
桑に関する道具は二階の養蚕コーナーにありますので、また別の機会に紹介します。

豊富地区を中心に、中央市の方々が昔実際に使っていた農機具を寄贈していただきました。

脱穀の時に利用していた、千歯こき・足踏脱穀機です。

中央左が「千歯こき」、中央の丸いドラムに棘が出ているものが「足踏脱穀機」、右が「唐箕」

脱穀は、戦国時代までは「こき箸」を使っていました。今の割り箸に近い道具を使い、手作業で脱穀していました。
江戸時代になり、元禄年間(1688~1704年)に千歯こきが発明され、作業効率が大幅に上がりました。
更に明治時代になると、自転車から着想を得たという足踏脱穀機が生まれ、脱穀は更に効率的になりました。
どのくらい効率的になったかというと、

こき箸:1日に90~120把
千歯こき:1時間に45把
足踏脱穀機:1時間に250~300把

つまり、千歯こきは2~3時間でこき箸1日分の脱穀ができました。更に、足踏脱穀機は10分程度で千歯こき1時間分の脱穀が可能でした。
参考:「クボタの田んぼ」

脱穀した稲は、すぐ食べられるわけではありません。
まず、収穫した「もみ」を、中身が入っているものとそれ以外(カラのもみ・ごみなど)とに選別します。その上で、「もみ」を「もみがら」と「玄米」にして、更に「玄米」を「米ぬか」と「白米」にします。
当館では、この第一段階に使っていた道具である箕(み)や唐箕(とうみ)、第二段階以降につかっていた杵と臼や磨臼(するす)なども展示してあります。

白米になる過程で出た物も無駄にしません。
脱穀し終わった藁も、編んでゴザや草鞋、米俵や縄をつくり、日常生活で利用していました。
もみがらも焼いて肥料にし、米ぬかはぬか漬けなどに利用するなど、隅々まで活用していたんですね。

藁はいろいろな道具になりました

藁といえば、当館では冬に藁で正月飾りを作る体験活動を実施しています(2023年時点)。今後の日程や活動報告も随時ブログに出す予定ですので、ご興味があればのぞいてみてください。
*2023年冬の記事は下記のとおり。

次は戦争のコーナーです。

この軍服なども全て本物です

こちらのコーナーには、明治から太平洋戦争までの軍服や、太平洋戦争の際に使用していた装備などが展示してあります。
「ちいちゃんのかげおくり」でおなじみの「ざつのう」の、当時実際に使用していた品も見ることができますよ。
軍服が展示してある所の下のガラスケース、左側の品は錆びてボロボロになっています。これは太平洋戦争の激戦地だったセブ島など南太平洋の島にあった遺品を寄贈していただきました。長らくジャングルで風雨にさらされた品々は、戦争の悲惨さ・すさまじさを現代に伝えています。
側面のガラスケースには赤紙や千人針などの品があります。

上の額縁に入っている赤い紙が「赤紙」、下から二段目の左側に「千人針」があります。

この部屋の反対側の壁には、戦前の学校の様子が紹介されています。
*こちらのコーナーは個人情報を含む箇所があるので、2024年4月現在、一部写真撮影禁止です。ご了承ください。

昔のオルガンや机・椅子・ランドセル、昔の教科書や成績表もあります。
いまのものと比べてみてください!

次回からは2階の養蚕展示のご紹介です。