資料館のかたな④正廣
当館は地元の方から寄贈された日本刀も展示しています。
今回も常設展示コーナーにある刀をご紹介します。
今回は「正廣(まさひろ)」と銘がある刀を紹介します。
「正廣」銘も比較的多くの流派に見られる銘です。
特に有名なのは鎌倉末頃から備後国で活躍した三原正廣(みはらまさひろ)です。
当館の刀にも昔の鑑定書がついており、三原正廣だというのですが…。
もしかしたら正廣違いの別の刀工かもしれません。
日本刀の鑑定は高度な技術が必要で、戦国時代には既に専門職として確立していました。
石山本願寺顕如の父・証如が、『天文日記』という詳細な日記を残しています。その中で、刀剣鑑定の専門家として本阿弥・正阿弥という二名が登場します。
彼らは本願寺からお金を貰い、刀剣鑑定を請け負っていました。
日記の中でも、正阿弥が九条家から拝領した脇指を鑑定する記事が出てきます。
当時の鑑定は、刀身の真贋だけではなく、査定額を出すこともありました。日記の記事では刀の鍔や鞘なども含めて一式の査定額を出していますね。
江戸時代になると、刀の研ぎ師でもあった本阿弥家が、刀剣鑑定の権威になります。彼らは研ぎだけではなく、依頼されれば刀剣の鑑定を行い、証書を発行しました。
その証書は「折紙(おりがみ)」という形式で発行していました。「折紙」は、一枚の紙を、裏を内側にして長辺を折り、折り目が下になるようにして書いた手紙です。
昔の手紙は、本文を書いた「本紙」と、何も書かない「礼紙(らいし)」の二枚セットで贈るのが正式でした。しかし紙が貴重品だったので、現代のハガキ程度で済む用事の場合は、一枚の紙を折ることで「本紙」と「礼紙」を兼ねる体にして出していました。
現代で言うところの「折紙つき」は、本阿弥家の鑑定書の「折紙」に由来します。その「折紙」は必ずしも鑑定書を指すのではなく、略式の手紙の様式一般の名前でした。
刀剣用語は日常にもまだまだ隠れています。探してみましょう!