歴史講演会を開催しました(天正壬午の乱と中道往還 数野雅彦氏)
中央市豊富郷土資料館です。
10月19日(土)に歴史講演会「天正壬午の乱と中道往還」を開催しました。
講師は、山梨文化財研究所の数野雅彦氏です。
定員をはるかに超えた申込があり、当日も超満員。県外からお越しの方もいました。たくさんのお申込み・ご来場ありがとうございます。
今回の講演では、企画展で取り上げる「天正壬午の乱」を、本栖湖方面の情勢と併せて解説していただきました。
本栖湖付近に、その名も「本栖城」という山城があります。それは武田氏の時代に中道往還の関門としての役割を果たしていたのですが、武田家滅亡後は徳川のものになります。「天正壬午の乱」の時期は、北条勢が城を奪取したのを徳川が取り返すなど、争奪戦がありました。
徳川や北条がそこを重視したのは、本栖城が交通の要所にあったからです。本栖城は中道往還をおさえるだけではなく、御坂方面から鎌倉往還に出たり、市川に行き河内路に向かうこともできる要地にありました。
そのため、「天正壬午の乱」の際、本栖城を含めその周辺でも大きな戦があったはずです。ですが従来、若神子合戦など韮崎方面の戦いのみが注目され、山梨県南部のほうは見過ごされていました。
原因の一つとして、山梨県南部の戦いが記録にもあまり出て来ず、遺構もほぼ残っていないと思われていたことがあるそうです。
当館の企画展で展示している砦群は、まさにその市川・右左口周辺で起こった「天正壬午の乱」の戦いの痕跡と思われるものです。主に北条方が築いたと思われる、総延長7.5㎞に及ぶ、御坂山系の山々の尾根に連なる砦群は、おそらく盆地内にいる徳川勢を威圧するため・軍の高速移動のため等に利用されたとの事で、山梨県史にとっても大きな発見だったのではないか、との事でした。
企画展は12月8日(日)まで開催です。