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中世甲斐の風景

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中央市は甲斐源氏の一族の鎌倉御家人浅利与一義成の拠点でした。与一が活躍した中世前期を中心に後期も含めて、甲斐内外の中世世界の風景を取り上げていきます。
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大福寺周辺をたずねる1「浅利氏と大福寺」

   今回よりマガジン「中世甲斐の風景」をスタートさせます。中央市は甲斐源氏の一族の鎌倉…

中央市周辺の山城をみつける 4「市川上野から右左口につづく尾根上塁址群」

 前回「獅子頭の遺構」で、土塁と竪堀によって構成される塁址について報告をしましたが、実は…

中央市周辺の山城をみつける 3「獅子頭の遺構」

 企画展「駿河への峠道をおさえる中央市周辺の山城」(9月28日より)にさきがける山城紹介の…

歴史講座を開催しました(「武田vs今川・徳川の城づくり」3回目)

中央市豊富郷土資料館です。 9月9日(土)に歴史講座「武田vs今川・徳川の城づくり」3回目を開…

歴史講座を開催しました(「武田vs今川・徳川の城づくり」2回目)

中央市豊富郷土資料館です。 8月19日(土)に歴史教室「武田vs今川・徳川の城づくり」を開催…

歴史講座を開催しました(「武田vs今川・徳川の城づくり」1回目)

中央市豊富郷土資料館です。 夏休みに入っても毎日暑いですね。 さて資料館では、7月29日(土…

中央市周辺の山城を見つける 2「市川上野の一条氏ノ塁址」

 2024年9月28日より企画展「駿河への峠道をおさえる中央市周辺の山城」を当館で開催します。そこで企画展で取り上げる山城を紹介していきます。今回は豊富地区の西側に接する市川三郷町の一条氏ノ塁址です(上の写真は展示予定の模型ですが、制作途中です。仕上がったものは企画展でご覧ください)。  一条氏は武田氏の親類衆で城主信龍は信虎七男です。その後息子信就が城主となりますが、天正10(1582)年3月の武田攻めの織田氏に呼応した徳川家康は駿河から市川口に侵入し、一条氏の上野の城館を

大福寺周辺をたずねる 2「大福寺の仏像と歴史」

 本館で行われた山梨郷土研究会主催のシリーズ・現地で学ぶ「大福寺(中央市)とその周辺」で…

中央市周辺の山城を見つける 1「七覚・洞山編」

 当館では歴史文化ボランティアの会との合同フィールド調査で、2023年度は市内の山城調査も行…